記録・解釈・画面上の補完
- 日付は天正10年6月の旧暦。4時を起点にした時計の細かな時刻と補間は演出で、実際の移動速度を算出するための時刻ではない。
- 長谷川宗仁からの飛脚という説明を採るが、使者の個人名・正確な道筋・交代場所は確定していない。破線は情報の方向を示す。
- 秀吉の出発・姫路到着日には研究上の違いがある。今回の行程は5日出発・7日姫路到着を採る。
- 兵士目線の映像はFlowで作成した12素材を使用する。人物・景観・天候・装備・動作は場面演出で実証復元ではない。素材より長い一部の場面では映像を繰り返す。
- 下段は現代DEMの色分け地形を使った高松・山崎の平面布陣図。河道・湿地・部隊位置・向きは概略。ブロックの大きさは兵数や占有面積の正確な尺度ではない。
- 編集上の尺は約77秒。12素材をつないだ1本の動画を、本能寺の変・和睦・中国大返し・山崎での布陣の4項目でたどる。再生尺は歴史上の移動時間ではない。
- 2Dの行程は5日出発・7日姫路到着を採用し、尼崎11日・富田12日へ演出時計を対応させた。研究上の解釈には違いがあり、細かな時分は補間である。合流中の隊は読みやすさのため順に代表表示し、合流後の記号数を人数換算しない。
- 姫路は6月7日到着・9日出発という行程を採用しているが、到着日には異説がある。食事映像は滞在全体ではなく、その中の短い一場面を表す。画面の6月7日8時〜8時30分は、到着時の表示から針をゆっくり進めるための演出で、食事時刻の史料的な復元ではない。出発の場面では元の行程の日時へ切り替える。
移動と伝令
当時の寺域・現在地との区別。建築・陣形の図は自作の概略。
急報を長谷川宗仁の飛脚とする解釈、和睦交渉は急報以前から進行。
本文4〜9頁の情報伝達・中川宛書状・毛利側通信、行程の異説を参照。論者の解釈と引用書状を区別する。
時系列表は動画の採用行程を整理したものです。黒田基樹の解説では急報の受信を6月3日深夜〜4日未明とし、和睦交渉はそれ以前から進んでいたと説明しています。到着日の見解は一致しておらず、姫路は黒田の解説で6日、服部の論考で7日。本映像は7日を採用しています。伝令の移動、食事、野営の具体的な姿や時分は演出です。
宗治の自害と6月4日の和睦・開城は、岡山県古代吉備文化財センター「備中高松城跡」を参照しています。富田・山崎の流れは黒田の解説と「場所・布陣」の資料を参照します。
場所・布陣
羽柴本陣の石井山への移動。水域・等高線・陣位置の細部は模式化。
富田での参陣、天王山東側・淀川沿いの戦い。伝承を含む解説で、図版は転載しない。
高松・山崎の布陣図
現代DEMを簡略化した地形と自治体の解説による概略配置。部隊ブロックの向き・面積は実測復元ではない。八幡山の宇喜多忠家隊は岡山市の2025年解説に基づく。
現代地図の家紋・隊名・部隊ブロックは絵図と共通の表現です。高松3隊・山崎7隊の配置は、史跡周辺と山麓・川沿いの相対関係を示す制作上の仮定です。ブロック数は人数換算ではなく、大きさ・中心・向きも実際の占有範囲・正確な陣所を表しません。広域図は選択地点の現代の府県・市町の位置を示します。布陣図と航空写真は北が上ですが、縮尺・範囲は同一ではありません。
兵数
同館の紹介は羽柴の包囲軍3万、清水宗治の城兵5000とする。岡山県大百科事典(1980年)からの紹介で、当日の実測値ではない。毛利援軍と部隊別内訳は未確認。
第二篇第一章、本文11頁・13頁(9・10コマ)の部隊表を原本画像で確認。羽柴方26,500、明智方16,000は同書が示す概数の一説。16世紀の実員名簿ではない。同書には別に石高換算の推計もあるが混在させない。隊名は通用する名前へ整理した。山崎の兵数を別の時点へ流用しない。
家紋
秀吉ゆかりの五七桐の形を参照。三枚葉と花を自作し、1582年当日の紋の実物復元とはしない。
部隊一覧の家紋
家紋は家の識別用に描いた略図。当日の使用は未考証。斎藤利三・蜂屋頼隆・堀秀政・清水宗治の紋は今回信頼できる典拠を確認できず文字印とする。斎藤利光ではなく斎藤利三と表記する。
羽柴の識別紋:五七桐
Zagyoso作 Goshichi no kiri.svg(Wikimedia Commons、Public Domain Mark 1.0)。等方拡縮と着色を施して使用。1582年の旗の実証復元ではない。
地図・地形
現代の地形陰影を自作地図に重ねた。1582年の河道や海岸線を復元したものではない。
国土地理院から地理院タイルをリアルタイムに取得し、史跡の位置を重ねて表示。現代の地図であり、戦国期の行政界・道路を復元したものではない。
地理院タイルをリアルタイムに表示し、史跡・部隊の概略位置を追記。現代の河道と街路であり、1582年の復元ではない。
現代の地図・航空写真は国土地理院からその都度読み込みます。通信に失敗しても、行軍図と映像は操作できます。地図サービスへは表示範囲のタイルを要求します。この画面には解析・広告・アカウント登録機能を設けていません。
書体の参照資料
書家の文字に基づく筆文字。OFLを同梱しサブセット名を変更。
伝令・書状
京からの急報
京・長谷川宗仁
↓ 飛脚
備中・羽柴秀吉
まだ送られていない本能寺で信長が討たれたという知らせ。
6月3日深夜〜4日頃
研究上の解釈 · 経路・中継地点は未詳
根拠を読む ↗諸将への書状
羽柴秀吉
↓ 書状
摂津・中川清秀
まだ送られていない信長・信忠は無事と伝える内容。これは書状の主張で、実際の生存を意味しない。
6月5日付の書状
書状の記録 · 経路・到着時刻は未詳
根拠を読む ↗毛利方にも知らせ
紀州・雑賀方面
↓ 連絡
毛利方
まだ送られていない毛利方の6月6日付書状にも信長死去の情報が現れる。雑賀からの連絡は後年の記録に見える。
6月6日までに把握
書状・後年の記録 · 海路の可能性を含め経路未詳
根拠を読む ↗映像
兵士目線の12素材は、生成AIの開始画像をもとにFlowで作成した映像です。人物・建物・装備・景観・音は場面表現です。行軍後半は町外れと街道の2カットで構成しています。本能寺など、素材より長い場面では映像を繰り返します。山崎は8秒の素材を1回再生して終了します。実写記録や当日の厳密な復元ではありません。